2023.10.19 更新 カテゴリ:BLOG
川俣はコスキンの町!
川俣の小学生は全員ケーナを吹けるらしい!!
“コスキン・エン・ハポン”は日本最大級の“フォルクローレ”のお祭り!!
・・・
って、ちょっとなに言ってるかわからない人も多いのではないでしょうか。
“コスキン”?“ケーナ”?“フォルクローレ”って…なに?
私もそうでした。
でも、今やすっかり“コスキン”のトリコとなってしまいました…。
というわけで、川俣初心者の私が、2023年8月11日から13日にかけて開催された日本最大級の“フォルクローレ”の祭典「コスキン・エン・ハポン」を体験して、“コスキン”をこよなく愛する若き高校生たちにもお話を聞いてきました。皆さんにその魅力をご紹介しますね!
“コスキン・エン・ハポン”と“フォルクローレ”とは?とは?
まずはこの「コスキン・エン・ハポン」について簡単にご説明します。
コスキンというのはアルゼンチンの都市の名前です。コスキン市では毎年、民族音楽の祭典が行われることが知られており、それにあやかって「日本のコスキン」という意味のイベント名が生まれたのだそうです。また、アルゼンチンやボリビア、ペルー、チリ、エクアドルなどの中南米で親しまれてきた民族音楽を総称して、日本では「中南米音楽」「フォルクローレ」と呼んでいるそうです。
コスキン・エン・ハポンが始まったのは昭和50年のこと。川俣で生まれ、川俣町で初めての楽団や合唱団を結成し、子どもたちを指導した、まさに川俣の音楽の父とも呼べる長沼康光氏が、日本中の中南米音楽愛好家に呼びかけて川俣町を会場に、第一回コスキン・エン・ハポン(以下「コスキン」)が開催されました。当時、13組の演奏家が参加したそうですが、ほとんどの方がのちにプロとして活躍していたり、後進を指導していたりするそうです。
長沼氏の情熱は連綿と受け継がれ、今回でなんと46回目の開催となります。東日本大震災が起きた2011年にも、出演者の熱い願いを受けて開催されたそうです。コロナ禍でやむなく中止せざるを得なかった年は、録画動画によるオンラインで開催し、4年ぶりに有観客開催された今年は、3日間で延べ108グループが参加し、そのうち17が川俣のグループ。そして、会場には観客として約3,500人の方が訪れたそうです。
※コスキンについてもっと知りたい人は、「コスキン・エン・ハポン公式サイト」をご覧ください!
ケーナは川俣の伝統文化?
川俣に来たことのある方なら必ず目にするのが、町の入り口に設置された「コスキンの町 川俣」と書かれたオブジェ。つばつき帽子にマントを羽織った可愛らしい人形がたて笛を吹いています。
このたて笛が「ケーナ」と呼ばれる南米発祥の笛なんですね。中南米音楽では、このケーナ以外にも管楽器(パンフルート)の「サンポーニャ」、ウクレレに似た小型の弦楽器「チャランゴ」や、打楽器「ボンボ」などが定番の楽器として知られています。
なんといっても驚きなのが、川俣の子どもは小学4年生になるともれなくこのケーナが配られるということ!音楽の時間や総合学習の時間、クラブ活動などでケーナの演奏を練習したり発表したりするのだそうです。
大人になってから「え、あれやってるのってうちの町だけだったの?」って驚くこと、ありますよね。私が生まれた県では小学生はみんな県独自のカルタをやってました。
でも、小学生が全員ケーナを習う地域って…かなりレアというか、日本中探してもないんじゃないでしょうか。
聞くところによるとこの取り組みは1997年から始められたそうです。…ってことは、川俣では親子二代でケーナが吹けるご家庭も珍しくないってことですよね。その間、ずっとケーナが配られているとしたら…もしかして、世界中でいちばんケーナがあるまちでは!?これはもはや、川俣の伝統文化といっても過言ではないのではないでしょうか。
会場の中も外もフォルクローレ一色
さていよいよ、コスキンの開催当日。メイン会場の川俣中央公民館には、青空によく映える色鮮やかなのぼり旗がはためき、色とりどりの民族衣装や風変わりな楽器を売る出店が軒を連ね、屋台からは美味しそうなスパイスの香りが漂っていました。
朝から続々と会場に集まってくる車の多くは県外ナンバーです。降り立つ人たちの手や肩には、総じて大きな荷物が背負われています。
しばらくすると、会場のあちこちから不思議な音色が…。竹でできた大小さまざまな笛や不思議な形をした太鼓が奏でる音はなんだか物悲しいような、でも自然と体が動いてしまうリズムがとっても心地いい。なるほど、これがフォルクローレか…。
プログラムは、開会式に続いて川俣のグループ「アミーゴ・デ・川俣」によるコスキンマーチで幕を上げます。
その後は次から次へとステージに演者が上がって演奏を披露。華やかな衣装でダンスを披露するグループあり、ひとりで弾き語りをする人あり、大小色も形もさまざまな楽器を携えた大人数グループもあり。年齢構成も性別もバラバラ、演奏の腕前もそれぞれ。見ていて飽きることがありません。
来場者は演奏に合わせて体を揺らし、演奏が終われば大きな拍手。きっと知り合いや家族が演奏している方も大勢いるんでしょうね。
公民館の外にある広場では、練習しているグループが周りを巻き込んで即興演奏を始めたり、衣装がばっちりきまってるグループを囲んで撮影会が始まったり。大人も子どもも、フォルクローレという共通の楽しみを持って思い思いの時間を過ごすその風景は、「お祭り」というよりは、そう「フェスティバル」。
例年は秋に行われるコスキンですが、今年は施設の事情で夏開催ということもあり、川俣中央公民館はまさに夏フェス会場と化していたのでした。
コスキンの歴史と文化を感じるイベントも
コスキンの会場は川俣の町中に散らばっていて、訪れる人はバスや自家用車で回遊しながらプログラムを楽しむことができます。
その会場のひとつである羽山の森美術館では、コスキンの歴代告知ポスターが展示されており、8月12日には原画の作者である大町亨さんのギャラリートークが開かれました。
コスキンの開催時期が近づくと、川俣の至るところに張り出されるポスター。躍動感溢れる筆致で中南米楽器を演奏する人たちが描かれているのが印象的です。コスキンと聞いてこの絵柄を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
このポスターの原画を描いているのが大町さんです。ご自身もフォルクローレの愛好家で、コスキンにも参加されている方です。この日は川俣中央公民館で演奏した直後だったそうですが、ご本人曰く「大失敗」してしまったそうで、少し凹んだ様子でした(笑)。
ギャラリートークは、展示されているポスター一枚一枚についてその魅力の解説を中心に行われました。大町さんの前に原画を描いていた神保 亮さんの原画へのリスペクトを込めた解説や、ご自身の原画が描かれた背景などを、ユーモアを交えながらお話ししてくれました。
そのお話しからは、神保さんも大町さんもフォルクローレやコスキンへの愛とリスペクトを持ちながら原画製作に臨んでいることが伝わってきます。大町さんの「神保さんの原画がコスキン・エン・ハポンの魅力を広めるのに大きな役割を果たしてきた」という言葉のとおり、音楽と絵画の融合もまたコスキンの魅力だということがよくわかりましたし、部屋を囲むポスターに、歴史の積み重ねを感じることができました。
あとで聞いた話なのですが、実は川俣には絵画の文化も根づいていて、川俣にゆかりのある画家も大勢いらっしゃるのだとか。羽山の森美術館にはその方々の作品がたくさん収蔵されていて、川俣の人たちは気軽に鑑賞することができます。コスキンといいこの美術館といい、川俣には日常的に芸術に触れる機会や場所がたくさんあるんですね。
きっと、音楽や美術を身近に感じられる環境で育った川俣の子どもたちのなかには、中南米音楽に触れて音楽の道を目指す人や、川俣絵画に影響されて美術の道を目指す人も多いんでしょうね。
後編では、そんな川俣育ちの高校生に、コスキン愛を語っていただきましたよ。その純粋な言葉と眼差しに、忘れていたなにかを思い出す人も多いのではないでしょうか…!どうぞこちら(後編)からお楽しみください!
取材:かわまた暮らし編集局員(東京支部スタッフ)
城田 晃久(しろた てるひさ)
群馬県高崎市出身、東京都練馬区在住。フリーター、広告代理店勤務を経てフリーランスのライター、ディレクターとして活動。依頼が多い分野はIT系と医療系。書きたい分野はスポーツ系と旅行系。趣味はサッカー観戦でW杯は現地観戦派。Jリーグザスパクサツ群馬のサポーター。お笑い芸人、俳優としても活動中。